2011年3月アーカイブ

3月30日、戦争のような一日だ。
懸念だった製品が一日早く今日完成してきた。朝の8時には大型トラックが到着し、社員総出で始末し、全県へ飛んだ。
店の方はたったの二人で頑張る事になる。
我々は今日は母の火葬だ。娘は前々から予約していた歯医者に行き、そのまま安置場へと向かう。
なに、お葬式はそんなに難しい物ではない。色んな儀式や儀礼が難しい物にしているだけだ。
私は難しいお葬式にする気はさらさらなく、私流でやる気だ。
古代、人々がやったような本来の原始的なお葬式だ。
周囲の人には少し戸惑いがあるようだが、まあ、無事火葬は良い火葬となった。
後はお葬式だ。出席した人達はビックリするんだろうな。
 



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3月28日、1ヶ月間にも及ぶ格闘の末、母は永眠した。
姉、弟、上さんと娘と私、皆に見送られての最後だった。
今日30日はもう火葬である。昨日のうちに湯灌の儀を済ませ、綺麗になった母親の顔にはあちらこちらに病気と格闘した傷跡が生々しく残っている。
がんばったね母さん。
 



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 こちらは期日通り仕上げたのだが、仙台にある工場の方の打撃は深刻であった。何よりも電気が通らない事にはどうにもならない。
我々がそうだったように、電気の復旧がない事にはお手上げなのである。相手の復旧を待つしかない。
一方母親の病状も一進一退であった。
3日目には娘の頬を擦るようにまでなってバイバイをし、4日目には自分で喉の痰を取ってくれるよう頼むようにまでなっていたというのに、突然HCUの方に移され、再び昏睡状態になってしまった。
まるで反応のない日が続いていたのであるが、私と娘が病院を訪れた時から雲行きが怪しくなった。
看護婦長に「母親は風邪を引いています。ウィルスがいます」と言ったのだが、そんな事理解して貰えるはずもない。
「えっ、先生がそう言ったんですか?」
「いえいえ、先生も多分分からないでしょう」
「???えー、言っている事が良く意味が分からないんですが」
まあ、そりゃあそうだ。普通の人には意味も分からないだろう。かといって、分かるように説明したところでこの人達には一生分からないだろう。
自分のような特異体質の人間が病院に一人でもいれば、多分多くの人が助かるだろうし、また、何故人が死んでいくのかの理由も分かるだろうに。
まあ、普通の人にはオカルト。
ともあれ、その話が少しは効果があったのかもしれない。翌日から医者は抗生物質を投与し始めた。
すると、母親はみるみる回復をし始めた。
また以前のように目を開けるようになり、手足を動かし始めたという。
実を言うと、この間は、私は全く病院に足を運ぶ時間はなくなってしまっていた。それに、行くたびに母親からウィルスをうつされるため、常に風邪の症状と闘わなければいけなくなってしまったからである。
今まで余り経験したことのない種類のウィルスで、襲ってくるほどではないのだけど、確実に体の中に入り込んでくるウィルスなのだ。
鼻の粘膜と言うよりは喉の粘膜に巣くう感じなのだ。
だから、この間の母親の病状は、毎日姉からの報告となった。
「今日は返事をしてくれた」とか、「手足が動くの」という嬉しい報告が続き、また病院から連絡が入った。
一般病棟に移るという。なんだか嫌な予感がした。
そして3月15日。
「今日は凄かったの!注射を打つ看護師さんをギロって睨むのよ!」
「へえー」
「天井とか周りをきょろきょろ見て、なんだか、今自分がどんなところにいるのか理解しようとしてるみたいなの」
「そりゃあ凄い!」
「それでね、それでね!泣いたのよ!ボロボロ涙流して、二人で泣いちゃったわよ」
「そりゃあ凄い…」
思わず、私の目からもぼろっと涙がこぼれた。
そして号泣。
正直嬉しかった。
また、美味しい物を食べさせれば嬉しい顔をして喜んでくれるのだろうか。
 



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母親が倒れたのが2月28日。
そして東日本大震災が起きたのが3月11日。
いきなり停電となり大パニックとなった。秋田県は震災の被害は殆ど無かったのだが、停電は続き何が起こっているのかサッパリ分からない状態だった。
停電となると、我々の仕事は手足をもがれたような物でどうにもならない。昔と違って、今は全てがパソコンでの作業だからである。
これが実に大変な事であった。普通なら1ヶ月かかる仕事を、今回は1週間でやる事になっていたからたまらない。1日欠けても大きい、大きすぎる。焦りもイライラも募るのだがどうにもならない。
一体何が起こっているのか?
東北以外の人は、その時をリアルタイムで見て固唾を飲んで過ごしていたのだろうが、我々にはまるで分からなかった。
翌日、秋田魁新報を見て全てを悟った。そこには、意味不明な大津波の写真が一面にどーんと掲載されていた。どうしたらこんな絵になるのか?常識では考えられないような地獄絵図であった。
TVを見たくともTVはつかない。ラジオを聞きたくともラジオもない。
全くのお手上げである。
しょうがないので酒盛りをした。仕事が間に合うも合わないも電気次第である。できる仕事は、電気が復旧しない事にはどうにもならない。
初めこそ、東北電力は何をしているんだ!とも思っていたが、秋田魁新報の写真を見てしまえばどうなる物でもない事は理解できた。
一体いつになったら電気はつくのか。
2日目も電気は回復しなかった。仕事ができない。夕方5時近くに事務所に行くと、社員は携帯の明かりを頼りに仕事をしていた。それはいくらなんでもとすぐに止めさせて家に帰した。…お手上げである。
初日同様、その夜もロウソクを5〜6本立てて食事を摂った。
案外食事はちゃんと摂れていた。電気がつかないだけで、水道も出ればガスも出る。だから風呂にも入れた。
朝には買い出しにも出かけた。スーパーには長い行列ができていたが、スタッフと手分けして2カ所に並ぶとなんとかカップ麺とか大量に買う事ができた。
私は私でがらんとしたコンビニに入ってみた。普段、コンビニには滅多に一人で行く事はないのだが、入ってみると意外に物が残っている。
確かに弁当とかパンとか電池とかいう物はないのだが、酒はいっぱいあった。酒のつまみもある。後はお菓子の類はまだ沢山残っていた。取り敢えず、食べられない事はないのでそんな物を買ってきた。
ラジオも購入してきた。今時のラジオは大変優秀で、買ってきたラジオはラジオはもちろん、テレビ放送の音源も聞く事ができた。
携帯のワンセグでTV画面を見て、ラジオでTVの音声を聞く。
色んな智恵が湧いてくるもんだ。
他にも、携帯も家庭電話も一切つながらないが、携帯のメールだけは届いてくる。娘の携帯には心配した友人からガンガンメールが入ってくる。それが分かると、スタッフとはメールで連絡する事にしたのだが、どういう訳か、メールが繋がりやすいのはNTTのドコモだけ。
だから家族間の連絡だけはスイスイとできるようになった。
そうこうしている内に、スタッフから連絡が入るようになった。あちらこちらで電気がつき始めているという。
結局、自分の所がついたのは夜の8時頃になってから。
やったーっ!と喜んで、取り敢えずはパソコンの復旧作業が始まった。
パソコンが復旧さえすれば何とかなる。
最新のパソコンが簡単に復旧して、少々手間取ったのが旧式のパソコン。それが復旧しないと結構大変な事になってしまうのだが、これは娘が何とかしてくれた。
落ち着くと、今度はTVにかじりついた。仕事は最早夜の9時過ぎである。今夜はどうにもなるものではない。先ずは、世の中がどうなっているのか知りたい。
正直驚いた。被災地に一番近い所にいながら、一番遅く実態を知ったに違いない。そのもどかしさ。口惜しさ。色んな物がこみ上げてくる。
深夜まで食い入るようにTVを見続けた。
翌日は朝早くから仕事である。
なんたって、通常1ヶ月かけてやる仕事を今回は1週間でやる事になっていたのである。それが更に2日間を失って5日間。四の五の言っている暇はない。やるしかない。
なんだけど、これは案外スムーズであった。普段、余り実務をやる事のなかった私が仕事をしていたために、仕事はかなり順調に進んだのである。
驚異的なスピードで、期日の日にはきっちりと作り上げてしまった。
問題はそこから。我々はできたのだが…そのできた物を送るのは仙台。
今回の震災で一番の被害のあった所である。その工場のある所は仙台市若林区。海から20キロ位の所に位置している。危ない!
その手前には自衛隊の霞目駐屯地というのが広がっている。無事なのかどうか連絡は一切取れない。
自衛隊が大丈夫なら工場も大丈夫だろうと、秋田の自衛隊に連絡を取ると、自衛隊でも分からないという。はてさて困ってしまった。
秋田にある出張所の社員に聞くと、彼自身全く連絡が取れずに困っているという。
取り敢えず、その彼に会社の常務と担当課長の携帯電話番号を聞き電話すると…何と一発で電話がかかってしまった。まるで奇跡のような物である。
果たして、担当の常務の所は大騒ぎであった。大型の機械が全てズレ、稼働するかどうかも分からない。関連する企業が無事かどうかも分からない。電気も復旧見込みがまるで立たずにお手上げ状態だという。それはそうだろう。
取り敢えず、こちらのできた物はオンラインで伝送し(運良く伝送先は別会社で、そちらは無事であった)様子を見る事となった。
問題は別の所でも起こった。
新しく始めた新事業の店のスタッフが全員止めると言い出したのである。
よくもまあ、こんな大変な時を見透かしたように言うもんだ。
正直ムカついた。
大変な時にどれほどの事ができるかでその人の価値は決まる。
面白い事に、好条件で雇ってあげた人が止めたがった。理由は?
朝の早番が責任重大で恐いのだと言う。もし自分が遅刻したら?とか、自分の子供が熱を出したら?とかで不安で不安で仕方ないのだという。
呆れて物も言えない。かなりの好条件を与えてやった。ショップ店員だというのに土曜日曜祝日も休みというアホな契約である。勤務時間も、彼女の望む彼女にとって一番都合の良い時間帯にしてやった。交通費も駐車場料金も保証してやった。そしたら、子供の春休みなので、その期間休みが欲しいと言ってきやがった。
なんとも図々しく気持ちの悪い人間もいたもんだ。
こんな人間見た事もない。辞めたいなら辞めさせてあげるだけだ。二度と私と話しをするはずのない人間だったが、本社に呼びつけたっぷりと説教してやって、払う物を全て清算して即刻辞めてもらう事とした。
自分の都合しか考えず、自分の都合のいい事だけを言う人間と話しをする気はない。
続いてもう一人。大卒の人間が計算が出来ないと言って泣きじゃくった。
店が終わった後の〆の計算がどうしても覚えられないという。
不思議な事を言う物だ。そんなに難しい物なのか?と初めてその計算書を見てみると、簡単すぎるくらい簡単な物で、1分とかからずに理解できる物なのだが、彼女と、もう一人どこかの店の店長経験者の二人でやったら1時間半以上もかかってしまって、しかも間違いだらけで、とうとう最終の時間にも間に合わず、事務所も帰ってしまっていて大トラブルが発生してしまったというのだ。
つまり、売上金が宙に浮いてしまった。
まあ、アホなんでしょうけど、その大卒のコは翌日泣いて出勤し、始業時間になっても泣き止まず、夢遊病者のごとくになって、結局本社の方で対応お願いしますというSOSが入った。
それはそうだろう。明るく笑顔で迎えるべきショップスタッフがゾウさんのような姿で泣きじゃくっているのだから。
本社で話を聞くと、まあ、どうにもならないのだが、まるで幼稚園児のような物である。
「物が覚えられないんです」「シフト表で、私の遅番がきつくて恐いです」
これで大卒か。
大学はともかく県南の進学高校卒である。
あーめんどくさい。どれだけバカがいれば気が済むのか。足し算も引き算もできない大卒がいるという事実。冗談かと思う人もいると思うが真っ赤な事実だ。
世間では、この大震災で開店休業の社員も大勢出ていると言うのに、いやいや、今や、それは私の会社だって同じ事だ。
今月の仕事の目処が立たなければ単純に5百万円以上の丸損だ。信用が失墜し、今後の事業展開の信用も失ってしまえば廃業だってあり得る。今は、そんな危険と隣り合わせだ。
それでも私には、社員の生活を守れるだけ守らなければいけない義務がある。
どんな事があっても廃業はもちろん、一時休暇などしてはならない。
そんな時、東京の方では自宅待機という話が続々と伝わってきた。当社の社員の旦那も1週間自宅待機になってしまったという。死活問題である。
周囲を見ても、あちらこちらで自宅待機という事態が起こっている。震災を免れた秋田なのに、ガソリンスタンドにはガソリンがなく、スーパーには食料品がない。県内一の大手ショッピングモールは未だ電気が通っていなかった。
思い切った手に出る事にした。
辞めたいと言ったショップスタッフには辞めてもらう事にした。経験上、そういう事を言った人間はどう説得したところでダメである。なら、潔く辞めて戴きましょう。
かわりに本社スタッフをショップに投入する事にした。どうせ来月の仕事は目処が立っていない。
優秀な本社スタッフなら、すぐにでも優秀なショップスタッフになれてしまう。
これは経験済み。本社スタッフには、例え10年のベテランショップスタッフでもかなわない。
果たして、ショップの方は一日にして生き生きしてしまった。いやはや、さすがと言えばさすが。皆生き生きしている。皆オシャレだし華やかだ。動きも軽やかだ。
店が生き返った。
後は本社である。仙台工場がどうなるのか?秋田の関連する会社も次々と動き出してきた。
それでも仙台は動かない。



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 病院には良い医者もいれば悪い医者もいる。
技術や知識のことを言っているのではない。性格の問題だ。
同様に良い看護師もいれば悪い看護師もいる。
毎日行っていれば時に性悪な看護師がついている時もあり、そんな時は閉口する。母親がまだICUにいた時、風邪を引いて鼻をぐずぐずさせている看護師が母親の担当であった。
風邪を引いているせいか反応が鈍い。
血圧が重要だというのにその血圧管理もできていなく、尋ねても即座に答えられない。体温も答えられない。それまでの優秀で親切な看護師とは明らかにレベルが違う。
そんな半端モンが風邪のウィルスを巻き散らかしている。ゾッとした。
くも膜下出血をした人の勝負は2週間だという。その間に、肺炎などの合併症を患って死ぬケースが多いと言うが、それはきっと、こういう看護師や医者がいるから感染してしまうのだろう。
ICUの現場を見て、風邪を引いている看護師がいるのなら他の部署へ回すべきだし、患者の家族の面会にしても、もし風邪を引いているのなら見舞いになど行くべきではない。
最低限、マスクの着用は必須と思われるのだが、ここのICUでは、マスクの着用がないというのは驚きの現場と言わざるをえない。
母親がくも膜下出血をした翌日。CTを撮り、医者の説明があった。
その時の医者は、初日の医師とは違い乱暴な言葉遣いはなかった。
ホッとした。医者の性格で、こうも家族の安心感が違う物なのか。
その時初めて、前日に撮ったという脳の血管の写真を見せてもらった。
鮮明に写っている。造影剤を使って撮影した物だから、母親には相当の負担があったに違いない。その造影剤を使うだけで腎臓を痛めてしまう可能性のある物だ。
撮影画像には、なるほど確かに血管のこぶが3つある。なるほど医者の言う通り、そのどれが破裂したかは分からない。
確かに、特定した手術は難しそうだ。医者が手術したくない気持ちも分からないではない。
若ければ、その3つのこぶを全部処置することも考えられるのだろうけど、母親にその体力が残っているのかどうか。
医者は「1日目と2日目での違いは殆どありません」、つまり、新たな出血はないし、改善も見られないと言うことなのだが、私は気がついた。
「1日目と比べて2日目の方が出血したものが薄くなっているように見えるんですけど」
素直な医者だ。
「あっ、そう見えますね」
「早く血が引けてくれれば、その分脳への負担は少なくなりますよね」
「そういうことになります」
家族は少し安堵し、希望が輝いた。そんな2日目だったのだ。但し、医者は希望的なことは一切言ってくれない。色んな患者を見ているため迂闊なことを言って責任問題になるのがイヤなのだ。
だから、この医者もハッキリとしたことは言わない。
この先どうなるかは分かりません。一時良くなることがあっても、すぐにまた悪くなることもあります。
そういう物だと理解しておいて下さい、と言うことなのだ。
3日目には娘の頬を擦るようにまでなってバイバイをし、4日目には自分で喉の痰を取ってくれるよう頼むようにまでなっていたというのに、突然HCUの方に移され、再び昏睡状態になってしまった。
まるで反応のない日が続く。
毎日のように打ちのめされ落胆する。
母親が目を開けることはなくなってしまったのである。
くも膜下出血を発症してから1週間後、そんな状態のところに京都から弟が再びやってきた。
行って帰って飛行機代が7万円もかかるという。
でも、嬉しいことに、介護のためであれば飛行機代は片道1万円、往復で2万円も安くなるという情報を弟が掴んだ。
必要書類は母親の保険証と弟の戸籍謄本。慌ただしい中その書類を送ってやった。これは知っておくと便利だ。
その頃、私は母親から風邪のウィルスをうつされ、風邪を引いた状態になってしまった。これでは私は病院には行けない。
姉と弟が病院に足繁く見舞いに行くことになった。
母親は37度の微熱が続いている。医者はそれをくも膜下出血による物と思っているのだが、それは明らかにウィルスによる物。
そんな事を言っても分かる医者は日本全国どこにもいないのであろう。
 



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 父親の時を思い出した。
父親が75才を前に胃がんになった時、医者は驚く発言をしてきた。
「このまま死なせてあげるというのも一つの方法ですよ」
と言うのである。
耳を疑った。驚いた医者もいたものだ。
生かすための医者ではなく老人を殺すための医者がそこにいる。世間の厄介者の老人、ポンコツとなった老人は死んでもらった方が世間のため、家族のためと言わんばかりである。
あの時、私は死というものをろくろく考えたこともないだろう若い医師に諭すように生の尊厳を語った。
「子が親の寿命を決める訳にはいきません。胃がんなんて言うものは切れば治ります。手術をして下さい」
余命半年と言われた父はその後も2年間生き続け、酒を断ち、それまで食べることもなかった甘い物を食べるようになった。
父の余生が幸せなものであったかどうかは分からないが、あの時の私自身の決断を後悔するものでは決してない。
目の前の医師は、延々と私を説得しようとしている。まるで殺人の片棒を担げと言うような話だ。
信じられるだろうか?父親と母親、奇しくも一致した日本の医療の現場。
恥を知れ!お前なんぞ医者ではない!
「私が当人なら、生きていたいとは思わないと思うなぁ」
そんな事を3度も言いやがった。
 
ICUに入ると昏睡状態の母親がそこに横たわっている。
翌日、母に語りかけると、母は目を開けた。
「分かるか?」と声をかけると、こくりと頷いた!
3日目に娘を伴ってICUに行くと、母親は驚きの変化を見せた。
なんと、娘と分かると手を挙げ娘の頬を愛おしく撫でて離さないのである!
これには皆驚いた。前日まではただ目を開け頷くばかりだったのだが、自分の意志を持って娘の頬を撫でたのである。
更に!帰り際、娘が「おばあちゃんバイバイ。また来るからね」と言うと、
母親は…なんという驚き、そして感動!布団の中から手を出しバイバイをしたのだった。
但し、母親からは風邪のウィルスが微かに出るようになっていた。
風邪のウィルス。
そんな事を看護師に言ったところで分かるはずもない。
不思議な病院というかICUで、ICUのクセに、ここの看護師達はマスクを着用していない。我々はマスク着用で入るのだが、看護師も医師も、そして他の見舞客もマスク着用無しで入ってくる。
これではウィルスに感染して当たり前の環境だ。
その前日から37度の熱があったのだが、その熱の正体は風邪のウィルスによるものなのに、医師達にはそれが分からない。
その熱はあくまで脳膜下出血によるものだと思っているらしい。
4日目、母親の反応は更に良くなり、右手で襟を上げ「寒い」という意思表示を見せるようになった。更に、喉を指さし「タン」を取ってくれるよう頼むようにもなった。
痰を取る作業は患者にとって苦しいものである。私は見てられなくて背を向けた。
驚きの回復を見せた母親ではあったが、その翌日、病院から電話があって、「急患が出たのでICUからHCUに移りますので」と言う連絡が入った。
まあ、やむを得ない処置なのだろうけど、1対1の看護から大部屋に移されたようなものである。
著しい回復を見せていた母親は、その日からまた昏睡状態に陥ってしまった。
反応がなくなってしまい、目を開けることもなくなってしまったのである。
家族は皆落胆している。
目を開け、痛いも痒いも分かるののら介護の仕様もある。
美味しい物を食べさせてあげて美味しいと頷くなら、どんな高価な物でも探して買ってこよう。
背中が痒いと言うのなら背中をかいてあげよう。寒いと言うのなら布団を掛けてあげよう。
でも、人の話しているのを聞き分けているのに、なんの反応を示すこともできないのならそれは生きていても辛いだけだ。
痛いのに痛いとも言えずに、痒いのにただ我慢しているだけの母親はかわいそ過ぎる。
そんな大病院の扱いに家族は皆落胆している。
「病院は殺そうとしているとしか思えない」
誰かが呟いた。



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 先週の月曜日、つまり2月28日の月末、母親が実家で倒れた。
その一報は面倒を見てもらっている養老院のケアマネージャーからだった。
「お母さんが嘔吐していて、意識も朦朧としているようなので、救急車を呼びたいと思うのですが」
と言う事だったので、「呼んで下さい」と。
その時はまだ「あれ?昨日夕飯用に置いてきたちらし寿司があたったのかな?」程度に思っていた。
その電話があったのが10時ちょっと前。
疲れ切っていて、私はまだ寝ている時間だった。
10時26分、母親を乗せた救急車は組合病院に到着。この時はまだ意識もあり問いかけに返事もしていたというのだが、10時28分には処置室に入った。
その頃、ようやく眠気も覚めて正常になってきた私は、上さんを誘って病院へと向かった。方向音痴の私には組合病院がどこにあるのかさえ分からないのである。
車中、ケアマネージャーから電話が来た。
「今、お医者様が家族にお話をしたいと言ってるんですが」
「今向かっています」
とは言ったものの、いきなり不安が押し寄せてくる。医者が家族に話しをしたいと言うことは悪い話しに決まっている。
なんで?食あたりじゃなかったの?胃がん?
また電話が来た。
「先生に聞いたところ脳膜下出血だと言ってます」
はあー!?食あたりと脳膜下出血を間違えるもんか?
誰を責めたところでしょうがない。急ぐしかない。いやいや、急いだところでどうしようもないのだろうが。組合病院に到着して、母親を見舞うと、母親は昏睡状態で一言も喋られないばかりか反応もまるでない状態になっていた。
脳のCTスキャンを見ての先生の説明となったのだが、
「これは脳と言います」
から始まった。
「ここが頭蓋骨と言います」
イライラする。
「先生、見れば分かりますので普通に説明して下さい。顔は上の部分ですか?下の部分ですか?」
先生がギョッとして答えに詰まっている。どうやら先生は顔か後ろかには興味がなかったようだ。
いずれにしても、流れ出た血液は脳の左右真ん中を覆っている。
医者から提案があった。
「ご自宅の場所からすると日赤病院が良くないですか?」
「転院できるんですか?」
「今は出血してないので転院できます」
日赤への転院が決まった。
心残りだったのは、組合病院の先生方は皆優しげで親切だったこと。
日赤病院のICU集中治療室に入った。
そこで改めてCTスキャンを撮り、これは後で知ったことなのだが、造影剤を使って血管の撮影までしている。
そして先生の説明が始まった。
説明は私一人で聞くことになった。
この先生のお話が真不愉快極まりない。
患者を「生き物」と言う。「動物」とも言った。
「私が患者なら、このまま死んだ方が良いと思うんじゃないかなぁ」
と、暗に安楽死を勧めてくる。何度も何度も。
死なせたい医者と生きて欲しい家族の思いが繋がらない。
医者って言うのは何なのだ!?
「脳の中に3つのこぶがあるんだけど、そのうちどのこぶが爆発したのかが分からない。だから、多分右だと思うんだけど、外したら左もやらなきゃならない。2度の手術は耐えられないと思う」
ここで医者はその画像を見せようとパソコンのスウィッチをオンするのだが、そのパソコンがなかなか作動しない。イライラしてか、そのパソコンをバンバン叩き始めた。
パソコンが起動するには3〜4分はかかる。叩いたからといって起動する訳ではない。やがてこの医者は画面を出すことを諦めたようだ。バカ人間だ。
人の親を「生き物」だの「動物」だの。クソ人間だ。
「脳へのカテーテルも無理なんですか?」
「血管がボロボロで、この患者の場合は無理ですね」
要は、カテーテルを通す作業をしている内にその血管が破れる2時災害の危険があるということ。
何度か手術の依頼をするが、医者にその意志はない。
「手術をしたところで血を止めるだけだからね。そこを止めても他が爆発する可能性がある」
一体、この医者は自分の言っていることが分かっているのだろうか?
つまりは、患部を治しても、その他の血管もボロボロだから無駄。死なせてやりましょうよ…と言うことなのだ。
夜になると、連絡を受けた姉や弟が遠路はるばるやってきた。
一緒にICUに入ると昏睡状態の母親がそこに横たわっている。
ちなみに、嵐のような。
と言うのは、その前の2月24日に新事業のお店がオープン。本社からもスタッフを投入し、てんやわんやの状態だったのだ。
 



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このブログについて

このお話は、運動とは無縁の50才の糖尿病と肝臓病を患う一人の男が、五十肩をきっかけにゴルフを始め、独学で5年でゴルファーの憧れ・シングルに上り詰める物語である。

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